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夕立(ゆうだち/ゆふだち)は、日本海軍の駆逐艦。白露型の4番艦である〔#艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』〕。艦名は夕立に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍神風型駆逐艦 (初代)夕立〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.93『神風型〔三等驅逐艦〕』〕に続き2代目に当たる。 艦名は海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち(初代)」、「ゆうだち(2代)」に継承された。 ==艦歴== 白露型駆逐艦4番艦夕立は佐世保工廠で1934年(昭和9年)10月16日に起工された〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『夕立|(艦性能略)|佐世保工廠|9-10-16|11-6-21|〃|(武装略)』〕。1936年(昭和11年)6月21日に進水〔〔『○進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ驅逐艦夕立一昨日二十一日進水セリ』〕。 7月15日附で中原義一郎少佐は夕立艤装員長に任命される〔昭和11年7月16日 官報第2861号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959342 p.5で閲覧可能。〕。また同日附で高橋亀四郎少佐〔後日、高橋は春雨の初代駆逐艦長、吹雪型曙駆逐艦長、陽炎型駆逐艦初風初代駆逐艦長、第6駆逐隊司令、第4駆逐隊司令等を歴任。レイテ沖海戦で駆逐艦満潮沈没時に戦死〕も白露型姉妹艦春雨艤装員長に任命される〔。 8月1日、佐世保工廠に夕立艤装員事務所が設置され、また藤永田造船所では村雨艤装員事務所が設置された〔『○艤装員事務所設置 驅逐艦夕立艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠ニ設置、驅逐艦村雨艤装員事務所ヲ株式會社藤永田造船所構内ニ設置シ八月一日ヨリ孰モ事務ヲ開始セリ』〕。 11月1日附で中原は夕立初代駆逐艦長となる〔昭和11年11月04日 官報第2953号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959435 p.7で閲覧可能。〕。だが12月1日附で中原は峯風型駆逐艦汐風駆逐艦長〔昭和11年12月02日 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.23で閲覧可能。〕へ転任〔後日、中村は陽炎型駆逐艦時津風初代駆逐艦長、第24駆逐隊司令、第32駆逐隊司令、軽巡洋艦長良艦長等を歴任。長良沈没時に戦死〕。後任の夕立駆逐艦長は沢村成二少佐となる〔。 1937年(昭和12年)1月7日、夕立は竣工した〔。横須賀鎮守府籍〔#日本海軍艦艇写真集17駆逐艦45頁〕。白露型3番艦村雨(藤永田造船所建造)と同日附の竣工であった〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『村雨|(艦性能略)|藤永田造船所|9-2-1|10-6-20|12-1-7|(武装略)』〕。同日、白露型2隻(村雨、夕立)により第2駆逐隊が編制され、初代駆逐隊司令は田中頼三大佐〔昭和12年1月9日 官報第3003号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959485 p.6で閲覧可能。〕となる〔後日、田中は軽巡神通艦長、戦艦金剛艦長等を歴任。太平洋戦争開戦時の第二水雷戦隊司令官。〕。田中は第2駆逐隊司令駆逐艦を夕立に指定した〔『○司令驅逐艦指定 第二驅逐隊司令ハ本月七日司令驅逐艦ヲ夕立ニ指定セリ』〕。 日華事変では揚子江等中国沿岸に進出して作戦に従事、この時フランス極東艦隊のデュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦プリモゲから夕立の姿が撮影されている〔#日本海軍艦艇写真集17駆逐艦49頁〕。 12月1日、沢村(夕立駆逐艦長)は初春型駆逐艦3番艦若葉駆逐艦長へ転任。後任の夕立艦長は由川周吉少佐。また姉妹艦2隻(五月雨、春雨)の編入で第2駆逐隊は定数4隻(村雨、五月雨、夕立、春雨)を揃えた。同日附で田中(第2駆逐隊司令)は川内型軽巡洋艦2番艦神通艦長へ転任された。後任の第2駆逐隊司令は古村啓蔵中佐となる〔後日、古村は重巡筑摩艦長、戦艦扶桑艦長、戦艦武蔵艦長、第一機動艦隊参謀長、第一航空戦隊司令官、第二水雷戦隊司令官等を歴任〕。 1938年(昭和13年)8月1日、夕立駆逐艦長は睦月型駆逐艦1番艦睦月駆逐艦長岡三知夫少佐に交代となった。 1939年(昭和14年)10月15日、岡(夕立駆逐艦長)は吹雪型駆逐艦響駆逐艦長へ転任。白露型姉妹艦春雨駆逐艦長広瀬弘少佐が夕立駆逐艦長を兼務する〔〔後日、広瀬は朝潮型駆逐艦大潮艦長《沈没時》、島風型駆逐艦島風初代駆逐艦長等を歴任。〕。 11月15日、広瀬少佐は春雨・夕立艦長兼務を解かれ、峯風型9番艦秋風駆逐艦長有本輝美智少佐が夕立駆逐艦長に任命される。また第2駆逐隊司令も古村から早川幹夫大佐に交代した〔後日、早川大佐は重巡鳥海、戦艦山城、長門」艦長、第二水雷戦隊司令官等を歴任、島風型駆逐艦島風沈没時に戦死。〕。 1940年(昭和15年)10月11日、夕立は紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式に参加した〔。10月15日、第2駆逐隊司令は田原吉興大佐に交代となる〔後日、田原大佐は軽巡那珂、長良《第三次ソロモン海戦時》、能代、重巡青葉、戦艦山城艦長等を歴任。〕。11月、第四水雷戦隊に編入された。 1941年(昭和16年)4月10日、有本(夕立駆逐艦長)は峯風型汐風駆逐艦長石井汞少佐と交代する。有本は陽炎型駆逐艦19番艦秋雲初代駆逐艦長(6月15日より艤装員長、9月20日より駆逐艦長)となり、真珠湾攻撃後に陽炎型1番艦陽炎駆逐艦長となった。 第2駆逐隊司令駆逐艦は夕立か村雨が務める事が多かった。7月13日、司令駆逐艦は夕立から村雨に変更〔『○司令驅逐艦變更 第二驅逐隊司令ハ七月十三日司令驅逐艦ヲ夕立ヨリ村雨ニ變更セリ』〕。 8月11日、田原(第2駆逐隊司令)は軽巡那珂艦長へ転任する。第19駆逐隊(綾波、敷波、浦波、磯波)司令の橘正雄大佐が後任の第2駆逐隊司令に任命された〔。 太平洋戦争開戦時、夕立は第二艦隊(司令長官近藤信竹中将:旗艦愛宕)・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂)・第2駆逐隊(駆逐隊司令 橘正雄大佐:第1小隊《村雨、五月雨》、第2小隊《夕立、春雨》)という所属であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夕立 (白露型駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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